ヴィパッサナー瞑想



瞑想にも色々種類がありますが、ここではヴィパッサナー瞑想という瞑想について紹介します

ヴィパッサナー瞑想とは「物事をあるがままに見続ける」ことを基本としています。

ヴィパッサナーはインドにおける最も古い瞑想法の一つで、二千五百年前にゴータマ・ブッダによって再発見されました。この瞑想法は、ブッダがその生涯の四十五年間修行し、また教え続けた技の真髄です。

日本ヴィパッサナー協会というのが日本でも存在し、10日間の修行を積めるそうです。


色々な精神論とか歴史的経緯がありますが、ここでは訓練方法やその効果を簡単に説明します。

ヴィッパサナー瞑想は、現在の瞬間を捉え続けることによって妄想を捨てていく技法です。

人の頭の中は常に雑念でいっぱいな状態にあります。
朝の準備をしているとき、通勤・通学の途中、勉強や仕事に励んでいるとき、自宅に帰り一休みしているとき、風呂に入り一日のつかれをとっているとき・・・・・・

意識をしてなくても普段の生活は雑念でいっぱいです。雑念がある状態があたりまえになっているのです

そこであえてその雑念を消してやろうというのがヴィパッサナー瞑想です。

具体的に何をするかというと、今現在に意識を集中させるのです

一瞬一瞬の現在に心を釘づけにしていくと、その雑念が止まるのです。これを
Sati(サティ)といいます。現在の瞬間に≪気づく心≫です。
 サティが連続すると雑念が完全にしずまり、物事の真の姿を、あるがままに、正しく洞察できるのです。その洞察が、仏陀の言われた究極の悟りにつながっていきます

ヴィパッサナー瞑想は、まず体の働きに気づくことからはじめます。現在の心に意識を集中させるより、体の現象に意識を集中させたほうが簡単に現在に気づけるからです。

目的は雑念、妄想をとめることなので、一瞬一瞬の体の動作に注意を釘付けにしてしまうのです。



さらに詳しい解説を
http://www.satisati.jp/index.htm
このサイトから引用させてもらいますと


最初は、歩行瞑想(ウォーキング・メディテーション)から始めま
しょう。座る瞑想(座禅)よりも動きがダイナミックなので感覚が取りやすいからで
す。大ざっぱな動きから始め、だんだん細かな動きを感じるようにします。

  まず普通に道を歩く速度で脚全体の動きを感じながら、「右」「左」「右」「左」
と言葉を付けて確認しましょう。
 
今経験している出来事を一瞬々々気づいて確認するのがヴィパッサナー瞑想です。

 気づきがあればSatiがあるのですが、気づきを内語で言語化して認識確定をする仕事
≪ラベリング≫と言います。ラベルをペタペタ貼っていく要領で、現在の瞬間の出来
事を≪言葉確認≫していくのです。

 右足の動きを感じたならば「右」とラベリングします。今この瞬間に自分に起きた
出来事は、歩行していること、右足が動いたこと、その感覚を感じたこと、でした。
それが現在の瞬間に知覚し、経験した事柄だったのです。
 これは妄想ではなく、現実の出来事でした。だから「右」、とラベルを貼るよう
に、言葉を貼って確認するのです。もちろん黙って心のなかの内語でやります。
…「左」「右」「左」「右」…と、足の動きを感じるたびごとにラベルを貼ってい
けば、これでヴィパッサナー瞑想が始まっています。

 ポイントは、
掛け声にならないこと。

 感覚をしっかり感じて、その直後にラベリングしながら確認します。心の90%は感
じることに使います。これが、現在の瞬間を捉え続けて妄想を離れる、ヴィパッサ
ナー瞑想の技術なのです。

 一定の時間歩いたら次に、歩行速度をゆっくりにします。足の上がる動きと下ろす動
きをそれぞれに感じ分けて、「(右足が)離れた」「着いた」あるいは「上がった」
「下りた」とラベリングします。
 言葉は、自分が感じた通りに選んで貼ればよいのです。「このように感じなさい。
これが正しい経験の仕方です」という公式のようなものはありません。感じ方、経験
の仕方は各人各様、千差万別です。
 しかし最初は現在形よりも完了形のラベリングの方がよいでしょう。
 「離れる」「着く」あるいは「上がる」「下ろす」…など、現在形では動作の最中
に言葉を付けてしまいがちだからです。感覚を実感する仕事がいい加減な、曖昧なもの
になってしまうのです。
 
言葉を言いながらでは、よく感じることができません。それどころかいつの間にか、
言葉だけが一人歩きを始めます。ラベリングさえしていれば、それでヴィパッサナー
がやれていると錯覚する人が多いので気をつけましょう。
 感じないで、言葉を言うだけなら、マントラを唱えるのと同じことになってしまい
ます。
 
 集中が高まるにつれて微細な感覚に気づくことができるようになります。次は感覚を
3段階ぐらいに分けて感じます。「離れた」「進んだ」「着いた」あるいは「上がった」
「動いた」「下りた」など。あわてないで、一つ一つの動作の始まりから終りまでよく
感じてください。
 
 集中がよければ、間断なくセンセーション(感覚)を感じてSati(気づき)を連続さ
せることができます。しかし実際にやってみると難かしいことが分かります。絶えず
なにかの音が耳についてくるし、音に心が飛ばなければ、思考やイメージが次々と心
に去来してきます。
 そのときは、すかさずその現象にサティを入れます。音が聞こえたら「音」もしく
は「聞いた」。思考やイメージが浮んだら「考えた」「雑念」「妄想」「イメージ」
などとラベリングします。
 一瞬一瞬サティを入れつづける中心対象は足の歩行感覚です。中心外の音や思考に
Sati(気づき)を入れた直後には、必ずいったん中心にもどします。
 「(足が床から)離れた」「進んだ」「着いた」→ワンワン→「聞いた」→「(足
が)離れた」「進んだ」→犬のイメージ→「雑念」→「着いた」…
 いったん中心にもどすのは、集中力を養う意味もあります。外れても外れても、一
点に心を振り向けていく訓練です。繰り返し中心に注意を絞ることで心の散乱状態が
鎮まっていきます。散乱が鎮まれば、落ちついて一つ一つの対象がよく見えるように
なります。たんなる「気づき」から「観察」の瞑想に成長していきます。

 驚くべきことに、歩くことが、究極の瞑想を実践する現場なのです。ゆっくりと落
ちついて足の感覚を感じます。一瞬々々のセンセーションをできるだけ鮮明に感じ
て、感じたこと、気づいたこと、直観したことを、ラベリングによって言葉確認して
いくのです。
 
音や思考に心が飛ぶのを嫌わないでください。なんにでも刺戟の強いものに飛びつ
いていくのが心なのです。モンキー・マインドならモンキー・マインドだと、気づけ
ばよいのです。あるがままに起きた事実を事実と気づくたびにSatiが成長していきま
す。
 足が動くと、感覚が生じ、生じた瞬間には変化し、滅し去っていく…。
 物事は変化し消えていってしまいます。
 身体現象というものが無常の本質を持っていることを観察する仕事に没頭している
と、妄想で灰かぐらになっていた頭がシーンと静かになって澄みわたってきます。

 歩行瞑想(walking meditation)は、駅に向かって歩くときや、会社のトイレの
往復などさまざまな場面で実践できます。いつでも体感を感じて、現在の瞬間に心を
つなぎとめておくことが大切です。
 『今、私は何をしていますか?この心と体はどうなっていますか?』
 どんなときにも常にマインドフルに自覚的でいるならば、悪い心や煩悩にヤラれてし
まうことはありません。苦の原因を作らないですむのです。感覚に気づくことから始
めて、身と心に生起する事柄を観察してください。
 毎日、たった10分間でも構いませんので、静かに歩いて足の感覚を感じてくださ
い。純粋に歩くことだけのための特別の10分間をサティの修行のために捧げてほし
いのです。だんだん時間が延びて、≪サティ≫が楽しくなってきます。
 落ちついて物事を正確に見ることができれば、正しい対応行動を取ることができ、ス
トレスや苦のない人生が展開されてくるのに感動を覚えるでしょう。




ヴィッパサナー瞑想についてのさらに詳しい解説は次のサイトにあるので気になった人はどうぞ
http://www.satisati.jp/index.htm



                  Top